市川市臨海部の「塩浜」は戦国時代から、幕府直轄の塩田地域として有名で、特に徳川幕府時代では、戦(いくさ)の必需品である、塩の精製の為に莫大な開拓費が降りたと言われております。
塩産業を軸に、塩浜がある行徳地区は、古くから海苔や魚介類に代表されるように、江戸時代から漁業が栄えた土地だけでなく、成田街道の入口として、人や物の交流が盛んとなり、宿場まち・港まちとしても栄えた地域でした。
それ故に、地元の人々は自然の恩恵に報いるために、神社やお寺を建造するために惜しみないお布施を出し、全国にも類を見ない神社仏閣のまちとして、その伝統芸術を世に送りだしております。宮大工の「匠と技」を活かした神輿づくりは大変有名で、実に全国の4割が行徳の神輿といわれております。
今や塩浜地域も、豊な漁場や秋の収穫という第一次産業から、京浜工業地域の拠点として第二次産業の要となり、また首都圏のベットタウンとして第三次産業が盛況となる等、神社仏閣のまちを支える姿もかわりつつあります。
このような環境の変革の中で、これから塩浜地域は地勢的なメリットだけでなく、第五次産業(一次からICT等の四次産業の複合型)や第六次産業(IoT)への可能性を秘めた、魅力あふれる地域として、その変貌を遂げようとしております。